スタッフダイアリー

涼やかな和ガラス〜氷コップ

日本でガラス(ギヤマン)が製造されはじめたのは、江戸中期頃(1704〜1715)。氷コップは明治〜昭和初期にかけて作られ、かき氷の器として氷菓子店で使われていました。色や形も様々でデザインも多種類なので、氷コップ専門のコレクターもいるほどです。

江戸期のガラス

江戸ガラスの猪口

外国のガラスはソーダ石灰が本流でした。江戸期のガラスは中国から伝わった鉛ガラスを主流としていました。日本の技術及び設備は小規模で窯も小さく、火力が木炭だったため外国の石炭燃料のように高温で溶かすことが出来ず、小さな薄手の物しか作れなかったようです。したがって製品数も少なく庶民には高嶺の花の存在でした。

職人たちの努力と探求心に感謝!

職人達は少人数の徒弟制度の中、西洋のガラス製品を見本に、指導者に恵まれることも少ない中で製造していました。環境もままならず技術向上もさぞかし苦労をしたことでしょう。まさに死にものぐるいの努力!先人達に感謝!!

余談ですが、過去に読んだ本に江戸時代の女性がガラス職人になろうとする苦労話がありました。男社会の中でその女性がガラス職人になろうとすると、兄弟子達は男のプライドがそうさせるのか、執拗ないじめ、無視などを繰り返します。女性はどれほどのいらぬ苦労をさせられたか、辛坊、情熱が必要だったか。私は読みながら同じ女性としてそばにいる男性の頭を一発殴ったろか!と思ったほどのお話でした。殴りませんでしたよ。心優しいから。

高嶺の花から庶民に愛される氷コップへ

さて、文政(1818年〜)頃からは江戸で大量生産されるようになり、加工技術も進み、安価なガラスが出回るようになり、中流クラスの庶民なら手にすることが出来るようになりました。

明治になると寛永、民営の工場に外国の技術者を招き、機械も導入されてより高度なガラスが作られるようになりました。氷コップはこの頃から製造され、開花したのは大正時代です。多くの技法、デザインの氷コップが作られ世に送り出されました。

吹製の他に圧搾製(プレス加工)が導入されソーダ石灰ガラスが一般化したことも大量生産の理由の一つでしょう。

 

氷コップの模様

玉だれ文

ゆらゆらと玉が繋がった様子を模様にしたものです。 
淡いグリーンと赤みが美しいコレクター垂涎の逸品です。

千段巻文

細いガラス糸を巻きつけて作られた模様です。繊細な涼しさを感じませんか。

鱗文

和文様の一つで古来より魔除けとして衣服や調度に用いられてきた文様です。龍や蛇の鱗に由来している三角形の連続模様です。

飾るだけではもったいない・・・ 氷コップの使い方

窓辺に飾り日射しをうけて輝く氷コップも良いですが、飾るより使うのがモットーの私はいろいろ楽しんでいます。
氷コップの形状は高坏(たかつき)、ゴブレットに似ていますよね。

今、使用するとしたら、アイスクリーム、ヨーグルト、カットフルーツの盛り合わせなど。白玉小豆、蜜豆なんかも美味しそうですね。中に氷を敷き詰めて緑の葉っぱに珍味を載せ晩酌しちゃいましょうか?

思い切って、大きな紫陽花の塊をコップに浮かべたら水無月、一人じめ!!

氷コップの縁にピアスをかけてアクセサリー入れにしたり、化粧品やパフなどを入れても相性がいいです。いろいろ試してみてくださいね。
このブログに掲載の氷コップは骨董舎でご覧いただけます。

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