骨董舎

薄茶器 棗(なつめ)

茶道において茶の点て方は「濃茶」「薄茶」と二分されます。

普通、茶事の案内に薄茶と記されていなければ濃茶を指します。

濃茶の「茶入」に対し、薄茶点前のときに抹茶を入れる容器を「薄茶器・棗」といいます。茶葉も区別して作られています。

人よりお茶優先!お茶壺道中

江戸時代、濃茶葉を葉茶壺(真壺)へ詰めるとき、茶園の茶師が分別して詰め分けをしていました。数種の濃茶を丁寧に和紙で包み、銘をしたためます。幾種か数本を壺に入れ、その隙間に薄茶葉をぎっしり詰茶とします。これは緩衝材や湿気を防ぐために入れたそうです。

この茶壺が宇治の茶園から江戸城へ献茶として送られる道中を「お茶壺道中」と呼び、寛永10年(1633)に制度化され、総責任者である徒歩頭(かちがしら)を中心に茶道頭、茶道衆、警護の役人が付き添いました。

次第に格式化、儀式化され、運ぶ茶壺の数が数十個にも増し、人数も数百人に増加して大行列になったそうです。8代将軍吉宗の時代にやっと縮小されました。

しかし、将軍家御用という絶対的権威が与えられた茶壺道中は権威の高いもので、街道沿いの村々には街道の掃除が命じられ、街道沿いの田畑の耕作が禁じられ、いかなる大名であろうとお茶壺行列と出会えば必ず駕籠を降り道端に控えこの通行を優先させることは続きました。

童謡「ずい、ずい、ずっころばし…」は「茶壷に追われてトッ(戸を)ピンシャン(閉める)、抜けたら(通過したら)ドンドコショ(やれやれ、と息をつく)」と歌われ、民衆にとって迷惑なお茶壺道中の行列を唄ったものです。
人間より茶葉の方が偉い時代があったとは…私は現代に生まれて幸せ〜。

利休からはじまった薄茶

利休の茶会頃から濃茶を喫した後、緊張を解き、くつろぎの一服として軽い薄茶を点てることが始まったようです。

「棗」は薄茶器の代表といえます。棗という呼び名は中国原産の植物「クロウメモドキ」科の落葉小高木の実から発生しています。薄茶器が楕円の実を立てた形に似ているので付けられた名称です。実は生食でき、乾して漢方薬として使われ、幹は堅いので版木としても利用されました。干した実のお菓子を中国土産で頂いたことがあります。

薄茶器「棗」の種類

棗の基本と成る形は利休型で、「大棗」、「中棗」、「小棗」の三種が有り、これにそれぞれに大、中、小が加わります。更に小棗より小さな「一服入棗」もあります。この他にも「銘入り」、銘無しの「町棗」、「宗匠好み」等数えきれないくらい種類があります。

薄茶器「棗」の素材

古来から好まれて使われたのが
*国産の木地、漆器、竹、一閑張り、陶磁器、象牙、金属など
*外国産の青貝、堆朱、独楽、蒟醤(きんま)、など(現在は作家さんの工夫で多種な材料が使用されています。)
*「見立て」の棗
「見立て」の方が選んだ方のセンスや遊び心が出ているので私は好きです。基本は必要ですが型破りの面白さは「見立て」でしょう。探す楽しさもありますし、使用された時の客人の驚きも心地よいものです。「見立て」に[いいね!☆☆☆☆☆5つ]贈呈です。 

骨董舎で販売している棗

どれも逸品です。身近に飾っておきたいですね。

茶道具としてではなく、棗の存在価値を普段の生活に取り入れられたら面白いでしょうね。「逆見立て」とでもいいましょうか?
海外の方はジュエリーケースや化粧パフを入れたりするようです。

成功されたらあなたはユニーク、不可思議な感覚の持ち主!!
私、一味も二味も違った感覚の方、尊敬しています!!

今日はこのへんで…#骨董舎のお留守番でした。

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